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Posted by ふたぎ おっと on  | 

“獣人”について考える:人魚とは

こんにちは、ふたぎです。

最近あれこれ書き直そうとしている中に「Journey of Life」という去年の作品がありまして、これに“獣人”なる存在が登場するのですが、ふと“獣人”とは何ぞやと思い、今日はそれについてつらつら述べます。

まず、“獣人”について。
ちょっくらウィキペディアを見れば、「神話や寓話などに登場する人と動物の身体を合わせ持つ生き物のことで、狼男、ケンタウルス、人魚、半魚人などがこれに当てはまる」とある。

ふむ。

毛の生えた四足哺乳類を差す言葉である「獣」と人が合わさった“獣人”。
ここに人魚や半魚人が当てはまるのかどうか、という疑問が最初にやってくる。
まぁ、そこは“獣人”っていう日本語の定義に対する疑問になってくるので、ここはひとまず置いておこう。

では、“獣人”は一体どのようにして進化したのか?

本来、神話や寓話に登場する生き物なんだし、フィクション相手にこんなこと考えても無駄なのかもしれないし、そもそもファンタジーの世界に生きる生き物に、現代科学の理論でどう進化したかを当てはめようとしても、答えは絶対に出ないことは確実でしょう。
しかし、気になるものは仕方がない。

ということで、今日は人魚について、あれこれ述べます。

人魚とは、まず広辞苑を開けば「上半身が人間の女、下半身が魚体という想像上の生物」とある。これはよく多くの人がイメージするような、優雅で美しい人魚像なのではないでしょうか?
しかし、現代科学の理論から行けば、よくイメージされるようなあのプロポーションの人魚じゃ、深海での生活には絶対不利だと思うのです。

そもそも人魚の祖先種は、魚類か人間か、というところから始めます。

例えば魚類の場合、たとえ「上半身が人間の姿」であっても、それが見た目だけの可能性もあります。つまり、人魚の呼吸器は鰓で、心臓は一心房一心室である可能性大。
そこはまぁ、良しとしましょう。
耳、よくある耳は人間と同じ位置に人間と同じ形をしたもの、もしくはギザギザの形の耳が付いています。しかし、魚類由来だったら、あんな耳、必要ないのです。というのも、魚の耳は耳孔が空いているだけで、耳介自体は付いていない。泳ぐのに邪魔だからです。
泳ぎ方は、身体を左右に振る波動運動。よくイメージされる動きとは違う泳ぎ方です。

しかしまぁ、実際にここまでを空想上の人魚がクリアできたとします。
この人魚は陸上に上がるのには相当リスクを伴います
そのため、「人魚姫」であるような「王子様に会いに水上へ」なんてことは数秒は出来ても長時間は不可能でしょう。


一方、祖先種が人間の場合、ここでは今日の海棲哺乳類と同じように「人間が海へ進出した」と考えます。
その場合、呼吸自体は肺呼吸になりますが、呼吸を水上で行わなくてはいけない。で、多くの海棲哺乳類の場合、水上でより多く取り入れた酸素を、ミオシンタンパク質の多い赤黒い筋肉に溜め込みます。だから人魚の筋肉も赤黒くなることが予想されます。
しかしながら、こうした海棲哺乳類も数時間おきには呼吸するため水上に行かなくてはいけません。同様に考えると、人魚が長時間水中に潜ったままでいるのは不可能。
また、多くの海棲哺乳類の場合、水中で長く生活するので、体熱保持のために皮下脂肪を厚くしている。つまり、人魚って言うのはあんな細い身体じゃすぐに死んでしまう。
更には水の抵抗をなくすために、耳たぶを無くし身体を流線型にする必要がある。というかその方が生存に有利。

これらをまとめると、人魚って言うのは空想上のイメージとはかけ離れた体つきになるのではと考えられます
まぁ、それが行きつけば、ジュゴンとかマナティーみたいになっていくていうのは、割と納得しやすいのかも。


で、ここまで自分で考察をしながら、人魚に関する論文をざっくり漁ってみたのです。
そこで見つけたのが「人魚の進化」(吉岡郁夫,1993年『比較民俗研究』8巻より)という論文。
これは私が言うような生物学的理論におとしめた話ではなく、古い伝説上の人魚とはどのように変遷していったかという話なのですが、やっぱりここで指摘しているのは、今日私たちが思い描くようなイメージではないということ。

日本の人魚起源は一番古くでは「書紀」にあるらしいのだが、どうやら実在の動物をモデルにしているとのこと。次いで「古今著文集」(建長6年、1254年)に登場する人魚は、顔つきがサルっぽくて更に人のような声で鳴き、涙を流したらしい。現在のイメージに近づくのは17世紀くらいからのようです。

中国では、「山海経」(戦国時代以前)に登場する人魚は淡水産で四つ足、声は幼児のようらしい。「本草網目」(1590)では、人間の女の形をしていて、肘に赤いたてがみのようなものがあるとのこと。前者の方はオオサンショウウオを差しているのではと考えられているらしい。

西洋では人魚の歴史は古いわけだけど、一貫して元にされている動物はジュゴンやマナティが多いらしい。そもそもマナティのManatiの名はカリブ族が人魚をmanattouiと読んだことに由来しているのだとか。1493年1月9日のコロンブスの航海日誌にそのあたりが記されているらしいです。


ここまでつらつら語っておいて、最終的に人魚がどう進化したのかという結論に至らなかったのですが、この論文を元にして考えれば、人魚が魚由来っていうのはどうやらあんまり当てはまらないようです。
となると、ジュゴン型かオオサンショウウオ型になるような進化をしていく、ということになっていくのですが、いずれにしても実際はよくイメージされるようには美しくないのかなと。

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Category : 思ったこと
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